2015年2月22日日曜日

小さい春見つけた


日の光がまぶしくなってきた今日この頃。
書きたいことは山のようにあるのですが(笑)、本日はこれくらいにしときます。明日の展開をお楽しみに。
(どういう展開をするのか・・?それはわたしにもわかりません)

月と星。
先日C美ちゃんを迎えに行った帰り道、同じ明るさで、縦に二つ並んで光っているのを見ました。上が月で下が星。防寒靴からスニーカーへ、そんな思いがよぎりました。やはり春が近いのでしょう。

火の車、自転車操業。わたしのブログには相応しいフレーズです。
それにしても自転車操業にいう自転車はちょっとひどい気がします。雪解けが進み、自転車がちらほら見られるようになりましたが、そんな自転車は楽しさの象徴のように思うのですが。
(って、このブログ、本当にどこへ行くのか・・?)

水温む今日この頃。と書こうとしたら今朝は雪がチラホラ。(そういえばまだ2月なんだ)と認識を新たにさせられます。

さてオナラが出そうな時、それはさっそく放たなくてはなりません。とはいうものの、お腹の調子とも相談して。安心しきった末の(あら大変)にならないように。尻緩む今日この頃。(今年2回目。まだ2月ですけど)

木に生るのは果物。気になるのは人事異動。
異動するのか、しないのか。するとしたらどこに行くのか。あと半月ほど先のお楽しみ。

そんなことより、1年のまとめをしっかりやれってことですね。ちゃんと実を結ぶように。

金がない。
力もない。
さらに色男でもない。

でも夢はあります。
それは、おじいちゃんになること。C美ちゃんと孫と三人揃って春ラララ。誰かかなえてください。

って君たちの双肩にかかってるんですけど。ってこれ見てるわけないですけど。

とりあえずいつなってもいいようにお金貯めろってことですね。

土が見えてきました。
12月にはあんなすごい雪だったのに、2月は記録的な小雪だったのだそう。おかげでこの時期にはめずらしく、我が家の通路の雪もなくなりました。
猫額庭の土も見えてきたというわけで。猫の額のほんの一部。

まあ土うでもいいんですけ土。

小さい春見つけた。

2015年2月15日日曜日

几帳面なわたし


本命はどれだ?

では、本題に。

このブログを読んでいただければ、わたしの几帳面さがよくわかってもらえることと思います。

ある日の夢。
なぜか長い廊下にたたずむわたし。どれくらい長い廊下かというと、先が霞むくらい。

さて、その廊下の床を見るとゴミが落ちています。それも約2メートル間隔に。先が霞むほどの廊下に、ずっと、ずっと。
ちゃんと測ったわけではないので「約」を付けていますが、おそらく2メートルちょっきり。
そして、どうやらそのゴミを落としたのはわたしのよう。落とした理由はわかりませんが、等間隔の様子に几帳面さが如実に出ているのではないでしょうか。

とはいえ、このゴミ、そのままにはしておけないですよね。途方にくれるしかないわたし。

と、ここで目が覚めます。
(なんだ夢か。良かった、良かった)
恐い夢、残念な夢、そんな夢の後の目覚めは、何とも言えない安堵感がやってきます。
するとその安堵感が再び深い眠りへと誘うのです。そしてまた夢の中へ・・・

目の前に広がるのは先が霞むほどの廊下、そして等間隔のゴミ。
(さ~て拾い上げますか)

ほら几帳面でしょう。

2015年2月8日日曜日

プチ路線バスの旅

昨日、kamekichi家恒例の元取り作戦が行われました。一日乗り放題500円のバスカードを使って。車を使ったら1時間ほどの行程を。
ところで、なぜ公共交通機関を利用するのか。そう、お見込みのとおり、下心があるからです。

目覚ましなしで、それでもいつもの時間より早く起きて、居間の照明を1個だけ点けて、カーテン開けて、「ちょっと日が長くなったか?」って独り言言って。
テレビの電源オンして、ひげ剃って、血圧測定して、「おー、休みの日はいつもより低くてイイね!」って独り言言って。
食前の薬飲んで、朝ごはん食べて、食後の薬飲んで、「ごはん中の薬がなくってよかった」って独り言言って。
トイレ行って、朝ドラ生で見て、「(部分)入れ歯忘れちゃたいへん」って独り言言って。
さ~て、いよいよ出発進行。

家の近くバス停→駅 380円

物産店でジュースをC美友人に発送
2階ホールにシードル試飲コーナーがあることを発見
でも10時半からで、今9時半なことをチェック
ここで1時間待つわけにもいかないので次の目的地を目指しましょう。

駅→目的のケーキ屋さん付近のバス停 320円

ドーナツを知人に発送
せっかく来たからと自宅用にシュークリーム購入
さあさあ、駅まで戻りましょう。


目的のケーキ屋さん付近のバス停→駅 300円

シードル!シードル!シードル!
なになに、本日ホール貸し切り?
手作チョコ教室開催、林檎汁酒試飲不可
教室参加者視線強烈、無邪魔恋(怒)
仕方ありませんね。

駅→家の近くバス停 380円

合計1,380円(4時間)。
元は十分取ったけど、達成感はイマイチでした。

2015年2月1日日曜日

ごはんの行方(小事えむお)

今日はわたしの大好きな東海林さだおさんを真似て書いてみました。当然、足元にも及びませんけど。

ごはんがこぼれたはずなのにどうしても見つからない。
そんなことありませんか。
ぼくはよくあります。
(年のせい)
簡単にそう片付けるのはいかがなものなのか。
少し掘り下げてみる必要があるように思う。

まず、なぜこぼすのか、ここを検証してみたい。
誰でも知っていることだけど、ごはんはツブツブで白い。
問題なのはこの白さなのだ。
さらに問題を深くしているのは、ごはんを入れる食器、茶碗だ。
茶碗は外側にはいろいろな模様が施してあるのに、内側は真っ白なことが多い。
我が家の茶碗もそうだ。
木の葉を隠すなら森の中というのがある。
茶碗はごはんを隠しているのではないか。
ツブツブが把握しづらくなってきた昨今、ごはん側にはミックスベジタブルを見習って、個々の存在を強調するよう進言する。
なぜこぼすのか、第一の問題として視覚問題があることを主張したい。

次はごはんを口に運ぶまでのことである。
視覚問題の都合上、箸を持つ、または茶碗を持つ手の感覚に多くが委ねられることになる。
箸をこの辺に挿して、そっとすくい上げる。
人生の中で数限りなく行われてきたこの作業はまず間違いがあるわけがない。
しかしあるわけがないことがあるのがこの世の常。
すくい過ぎ、すくわな過ぎ、特にすくい過ぎがこぼす危険性を多くはらんでいる。
いうなれば、これは制御の問題。
筋肉問題、神経問題と言えるのではないか。


そして口。
口の中では、消化のための咀嚼と、甘み、酸味、塩味、苦味、うま味の吟味が行われる。
さて、ごはんだが、よく噛めば甘みが増すと言われる。
でもそれはそもそもの味が薄いということの裏返しではないのか。
意識的に味わうことに徹しないことには咀嚼も粗末になるというものである。
子どもたちが小さかった頃は、よく噛むんだぞと言った手前、お手本噛みを心掛けるが、今となっては意識の彼方。
さらに歯がなかったり、入れ歯だったり。
話す時はよく噛むくせに、食べ物はよく噛めず。
これも神経問題とも言えるが、歯磨きが粗末な生活習慣問題とも言える。

このような問題が複合的に作用して、ごはんこぼしが起きるわけであるが、こぼれるごはんを目が捉えている。
重力加速度を身に着けたそのごはんは一瞬のうち消えていく。
しかし確かに落ちていったという残像がある。
(この辺?この辺?まさかのこの辺?)
ところがどうしても見つからない。
目と手を駆使するがどうしても見つからない。
すると
(ひょっとして錯覚?)
ということになり
(そうそう錯覚!やっぱり錯覚!)
何もなかったことになるまであっと言う間。

視覚問題、筋肉問題、神経問題、生活習慣問題の後に根気問題がやって来て、カピカピのごはんが発見されるのには、あとちょっと時間が必要なんです。
結局年のせいってことか。